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執筆者の写真中村義之

ベンチャー経営者だった僕が農家になった理由。「ただここにいるだけでいい」を信じる旅(2/7)



こちらの記事は、2023年1月28日、https://note.com/ に掲載した内容を転載したものです。

倒産寸前からの黒字化前夜


2020年の春は、ジェットコースターのような季節だった。


4年前に創業した会社が倒産の危機に瀕していて、銀行口座の残高は創業来最低レベルまで転落。早急に売上が立たなければ、翌月には従業員への給与や諸々の支払いが滞るという崖っぷちに立たされていた。


3月末ごろ、そんな状況が大回天して、続々と売上が立ち始めた。これまでの苦労は一体何だったんだろう。そう思えるぐらいの起死回生を全社一丸となって達成し、ほっと胸を撫で下ろした。


2020年3月末ごろといえば、新型コロナウイルス第1波の嵐が吹き始めていた頃で、初の緊急事態宣言を出す出さないの議論が噴出していた時期だ。


その頃の僕は、会社の赤字により自分の役員報酬を限りなく低く設定していて、生活費削減のために、東京・福岡の2拠点生活を止めて福岡100%の生活に移行しようとしていた。コロナとは関係なく、会社の窮地が故に下した決断だったけれど、結果的にその後のコロナ禍の生活を考えると、福岡の一拠点生活に転換できたのは幸いだった。


2020年4月初頭、東京で借りていた家を解約して退去。本来なら羽田から飛行機で福岡空港へ向かうのだけれど、この時は思うところがあって、和歌山の南紀白浜空港へと飛んだ。蘇りの道、「熊野古道」を歩くためだ。



熊野古道を歩く、自分と対話する


南紀白浜空港からバスに乗り、紀伊田辺駅へ。知人から紹介してもらったゲストハウスにチェックイン。翌日は早朝から出発し、熊野古道中辺路(なかへち)を2泊3日で歩く。


なぜ熊野古道を歩きたくなったのか。正直、あまり思い出せないし、動機は重要ではないように思う。衝動的に歩きたくなった、ということでしかないかもしれない。


2020年というのは、僕が本格的に登山を趣味として始めた時期で、この熊野古道の巡礼の旅は、登山を始めて数ヶ月しか経っていないころ。


当時は「登山」というものをよく知らなかったけれど、3年たった今の自分が思うには、「登山は自分と対話するのにうってつけ」である。


僕は当時、無意識的に自分と対話をしたかったのかもしれない。特に熊野古道で。



思春期からの野心、「偉大なことを成したい」


いつからだろうか。「人生で偉大なことを成したい」という野心を抱くようになった。


小さい頃から貪るように読んでいた少年漫画の影響か、はたまた大学時代にハマった歴史小説の影響か。あるいは、自分の内側の欠落から噴き上がってくる渇望からか。


「偉大なことを成すまで死ねない」


これが、当時の僕が向き合っていた執着だった。


それ以前にも色んな執着や煩悩と向き合って、「手放す」ということをやってきた。


●   創業した会社が倒産するのではという不安

●   会社に集まったメンバーが離散していく孤独感

●   上場で築いた資産が失われていく恐怖


「恐れ」や「不安」に支配されると、自分が自分でいられなくなってしまう。経営者として、人として、正しい決断をするためには「恐れ」と正面から向き合う必要がある。


無論、恐怖をなくすことはできない。恐怖を直視し、受け入れ、ときに感謝することによって、「うまく付き合っていく」という態度が適切だ。


僕はそれまでの経営人生で、孤独感、倒産の恐怖、資産がなくなる恐怖などと、できるだけ正面から向き合って、弱い自分を大切にできる勇気を育む努力をやってきた。


人からよく見られたいという欲求、お金を稼ぎたいという欲求、そういうものを手放して、手放して、次に出てきたのがこの「偉大なことを成したい」という欲求だった。


これがなかなか手放せない。自分の生きる唯一の意義のように思えたし、一回限りの人生、価値のあるものにしなければ仕方がない、と思っていた。



熊野古道へ


紀伊田辺駅前で始発のバスに乗って半時間、熊野古道中辺路の入り口である滝尻王子のバス停で下車。4月初頭といえど、早朝の熊野は肌寒い。バス停前のトイレで小用を足し、神社に参拝してから2泊3日の巡礼登山に繰り出した。


滝尻王子の裏から山道が始まる。のっけからの急登に登山初心者の呼吸と心拍数は大いに騒ぎ始め、早々に着込んでいたアウターを脱いだ。ここから丸2日間、40km以上の山道を歩き通せるか。不安とは裏腹に、憧れの熊野古道を歩けていることに感動しつつ、徐々に山のリズムに溶け込むような呼吸へと変わっていった。


日が登りはじめると、早朝の寒さを忘れるほどに陽光が降り注ぎ、とても心地よい天候になった。いたるところに咲く山桜を愛でながら、自分以外誰もいない静かな山道を楽しんだ。


運良く、まだ日が高いうちに1泊目の民宿に到着。緊急事態宣言さえまだ発令されていないものの、世の中が騒々しい最中に民宿を営業してくださったご夫婦に感謝しつつ、温かいお風呂とお料理、寝床をいただいた。


2日目、民宿出発時の筆者



高みを目指す人生との決別


2日目の朝、民宿で美味しい朝食を頂いて、しかも有り難いことにその日の昼食用のお弁当まで持たせていただいた。天候は朝から晴天で、清々しい気分。前日の筋肉疲労もあまり感じない。お昼にいただくお弁当を楽しみに、軽快に旅を再開した。


2日目ともなると、大分、山に馴染んでくる。雑念が少なくなって、ただただ歩くことに集中している時間が増える。


歩き始めて最初の1時間ほどは下り坂で、足取りは軽く、スタスタと距離を稼いでいった。しかし、その後にいくつもの急登が待っていた。


急な坂を登っては下って、登っては下ってを繰り返す。アップダウン、アップダウン。朝には意識することもなかった疲労の蓄積も感じ始める。何度繰り返したらいいんだ、このアップダウン・・。きつい登り坂。足を持ち上げて一歩一歩踏み締めることだけにしか気を配れない。


何番目の登り坂だっただろうか、坂を登り切った先に、見晴らしのいい峠に辿り着いた。ハァー、ここで一息入れよう。この先も登り下りが続くかもしれないけれど、一旦ここで小休止。


民宿の近くで湧いていた清水を水筒に汲んでいたことを思い出す。水分補給をしながら、ここまでのアップダウンについて思いを馳せた。


アップダウン、アップダウン。


なんだこれ、まるで自分の人生みたいじゃないか。


アップダウン、アップダウン。


高みを目指したと思ったら下り坂。


上場できたと思ったら、病気になって。病気を治して、起業の登り坂。きつい、きつい、大赤字の急登。今、ようやく登り切って、これからもきっと同じ行程。景色は違うかもしれないけど、同じようなアップダウン。


おいおい、これからもこれを続けるのか、自分は。


ひんやりと冷たい水が喉をゴクリと通過する。


いや、もういい。もうやめた。


もう、やめよう・・


偉大なことはなさなくていい。結局、そんなものはないんだ。


登っても、また下るだけ。その繰り返し。


もういい。僕は降りる。このゲームから。


偉大なことを成さなくても、ただ、ここにいるだけの自分の価値を認めよう。


何をしても、しなくても、価値がある人生だと認めよう。


何かを成さない限り、生まれてきた甲斐を認められなかった。


そんな弱い自分を認めよう。


「偉大なことを成さない限り死ねない」、その執着を、熊野古道の、どこかの峠で手放した。


涙が流れてきた。


何かを成すことにしか命の価値を見出せなかった、弱い自分。


そんな弱い自分をみとめ、愛を送った。


楽になった。


身体の力が抜けた。


僕はもう、何者でもなくていい。


自分のために成すべきことは、何一つなくていい。


ここからは100%、人のために生きよう。



創業来、初の黒字化を達成


熊野古道のその後の行程は、長く、厳しいものだったけど、身体の力みが取れたのが幸いしたのか、目的地の熊野本宮を経て2泊目の湯の峰温泉まで何とか辿り着いた。


熊野古道の巡礼を終え福岡に戻ると、その翌日から第1回目の緊急事態宣言が発令。世の中は本格的なパンデミックの渦中へ突入した。


そんな世相から厳しい経営環境が予想されたけれど、様々な幸運と社員の努力が重なって、その年、2020年度は創業来初の黒字化を達成した。


思春期のころから抱いてきた「偉大なことを成してから死にたい」という渇望。その表現形式としての「起業家」という生き方。その初期衝動ともいうべき野心は、熊野古道においてきた。


そんな野心を手放した後になって、黒字化が達成されたというのも妙な話ではある。人生っていうのは大体、そういう風にできているのかもしれない。


倒産の危機を脱した安堵感と、幼いころからの野心を手放した僕は、長い無気力状態へと陥っていく。


上場までの4年間、病気療養の2年間、創業から黒字化達成までの4年間。思い返せば、10年もの長い年月、ずっと何かと闘ってきた。


その闘いのゲームから下りた、無気力な自分。


何も目指さない。何も成したいと思わない。


2020年は僕にとって、そんな1年だった。



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